井上勇商店公式サイト
井上勇商店の成り立ちは現当主の曾祖母(井上チラ)が行商を行っていた戦後まもない頃まで遡ります。戦後に、初代当主である井上勇が満州から帰国、チラと共に行商を行っていく中で、様々な品を見て、学び、次第に良質な品の数や売り先も増えていきます。九州屈指の漁港町牛深の水産品を活かし海藻などを加工、販売にも手を伸ばしていきました。その後、加工場を作り、最初は知り合いなどに手伝ってもらいながら従業員を雇い、販売数を増やすことに成功します。さらに、販路拡大を目指し1981年に現在の鬼塚工場を建設します。
天草で水揚げされる「からすみ」の原料であるボラの真子(精巣)は、古くから長崎に原料として流通していたこともあり、勇も長崎に販路を見出し、牛深で水揚げされたボラ真子を卸していました。長崎をはじめ日本国内でも大きな「からすみ専門店」と交流させていただくなかで、牛深でも製造を行えると確信し、牛深にて水揚げされたボラ真子を使い「からすみ」の製造を始めました。 現在では、天草島内はじめ、天草近海、さらに九州全体から原料であるボラ真子を集め、製造しています。
物心ついたころ振り返ると、10月に入ると、家族はじめ従業員が「からすみ」の製造の準備が始まり、ピリピリした慌ただしい空気が流れる中にも、ワクワクするような空気が流れて、世間よりも一足早く冬の足音が近づいてきたことを感じていました。そこから一気に季節も冬が始まり年末年始を迎えるといったことを覚えています。その空気感の中、この時期しか水揚げされないなボラ真子といった貴重な資源、限られた原料の中でいかにおいしい「からすみ」を作れるか、いかに生産数を上げれるかという祖父や父の想いを幼いころから感じ、実際に加工に携わるようになってからは、直接話をすることで、より強く「井上勇商店のからすみ」を作らなければと想う様になりました。こういったことから、「からすみ」作りに関しては緊張感と高揚感に似た気持ちで、今では向き合っています。そして、昔から我が家に伝わるからすみ作りの製法や想いを自分が消しちゃいけない、さらに発展させなくてはといった想いで、「井上勇商店のからすみ」を作っています。多くの人や製品から、いろいろな知識を得るためにも展示会などへ参加し学び、さらに「いいもの」を目指し試行錯誤を重ねた「井上勇商店のからすみ」を多くの方に知ってほしいと想います。今後は、現状の維持だけではなく、やりたかった分野に力を入れることで販路の拡大を目指していくと同時に、目まぐるしく変わる漁業加工業界はじめ、食品業界についていくためにも常に制度や情勢を知り、勉強しなくてはいけないと感じています。牛深町で長く製造業で商いをさせていただいているのだから、少しでも恩返しができる企業を目指していきたいと想います。
株式会社井上勇商店 三代目当主 井上 卓
社名
設立
代表者名
本社所在地
事業内容
電話番号
FAX
営業時間
従業員
株式会社 井上勇商店
昭和24年
井上 卓
熊本県天草市牛深町37-1
からすみの製造、販売
0969-73-2248
0969-72-3199
【平日】9:00~16:00 【日曜】定休日
13人
社名株式会社 井上勇商店
設立昭和24年
代表者名井上 卓
本社所在地熊本県天草市牛深町37-1
電話番号0969-73-2248
FAX0969-72-3199
営業時間【平日】9:00~16:00 【日曜】定休日【水曜・土曜・祝日】不定休
事業内容からすみ製造、販売
従業員13人
昭和23年
昭和40年
昭和56年
平成18年
平成20年
平成27年平成28年
令和5年
第二次世界大戦時後 井上チラが牛深でとれる海産物を市などで行商を行う。 井上チラの息子勇が戦争から帰還。勇とチラの二人三脚で行商を行う
暁(現会長)生まれる
勇が『井上勇商店』を立ち上げ商売を始める。その際に、戦時中の中国満州にて同じ隊にいた、鹿児島の日本茶製造業社の方と知り合うことで牛深にて鹿児島の茶の販売を始める。
暁が、牛深に帰り、井上勇商店を父 勇と切り盛りする。
井上 卓(現社長)生まれる勇が、このままの小さな工場ではいけない、さらに大きな企業を目指さなくてはと感じ、現在の鬼塚工場を建設し、販路の拡大を目指す。
勇はじめ、家族一丸となり、現在販売している「海とろろ」メカブのたたきの開発を行い、製品化に成功。暁が、主となり加工を行う頃になると、海藻の買い付けを海外にも目を向け、中国や韓国からも海藻製品の原料の取引を始める。また、「からすみ」に関しては、年間の生産数を大幅に増やすことに成功する。海藻の流通ルートが増えることで、多くの方と交流が増え、その中には珍味系を扱う企業もあり、「からすみ」の販売数の増加へつながる。
卓 3月に井上勇商店に入るが、同年4月より鹿児島の日本茶製造業社にて2年間、勉強する。
井上 卓が 井上勇商店に戻る。
「株式会社井上勇商店」とし、井上暁が社長に就任する
卓 専務就任
井上 卓が 社長就任 暁は、会長に就任
昭和23年暁(現会長)生まれる昭和24年勇が『井上勇商店』を立ち上げ商売を始める。その際に、戦時中の中国満州にて同じ隊にいた、鹿児島の日本茶製造業社の方と知り合うことで牛深にて鹿児島の茶の販売を始める。
昭和40年暁が、牛深に帰り、井上勇商店を父 勇と切り盛りする。 昭和56年井上 卓(現社長)生まれる 勇が、このままの小さな工場ではいけない、さらに大きな企業を目指さなくてはと感じ、現在の鬼塚工場を建設し、販路の拡大を目指す。勇はじめ、家族一丸となり、現在販売している「海とろろ」メカブのたたきの開発を行い、製品化に成功。暁が、主となり加工を行う頃になると、海藻の買い付けを海外にも目を向け、中国や韓国からも海藻製品の原料の取引を始める。また、「からすみ」に関しては、年間の生産数を大幅に増やすことに成功する。海藻の流通ルートが増えることで、多くの方と交流が増え、その中には珍味系を扱う企業もあり、「からすみ」の販売数の増加へつながる。平成18年卓 3月に井上勇商店に入るが、同年4月より鹿児島の日本茶製造業社にて2年間、勉強する。平成20年井上 卓が 井上勇商店に戻る。平成27年「株式会社井上勇商店」とし、井上暁が社長に就任する平成28年卓 専務就任
令和5年井上 卓が 社長就任 暁は、会長に就任